程度論。できることと、できないこと。経験あることと、経験ないこと。求められていることと、求められていないこと。
昨夜、上司と1on1をした。
僕も薄す感じていた。
この会社の事業計画と今僕がみているチームの状況、僕のこれまでの経験、今後やりたいこと、家族のことなど総合的にみたときに、ミスマッチが起きていること。
この要因は、同時多発的に起こっていること、例えば、
メンバーの体調不良、家の状況、事業の急激な成長(直角的な)
そして、一番は、採用面接のときのミスマッチ、いや、認識ミス。
これは程度論とも言える。
「今までここの会社でこういったことをしていました。」
この内容で面接者(会社側)と転職者(僕)のみている映像の違い。
だから、入ってから、お互い「あれ?」なんか違う。
これがこうこうおかしいではなく、「なんか」なのだ。
だから、これがこうこうおかしい、「だから」こうこうした方がいい。「そのためには」こうしてみましょう。
のような目的があって方法ではなく、方法論で語ってしまう。
ピンポイトで考えていなく、総合的に俯瞰してみて、今こうだから、こうしないとだめという話にならないと進まない。
そして、1つ。
新築工事(更地に家を建てる)に立てて話す。
新築の家を建てたる場合。大雑把にいうと、こうなると思う。
1、設計図を書く(建築家、設計士)(0→1)
2、現場を考える、予算やコスト(人、物、精神)調整しながら現場を動かす(現場監督)(1→n→n")
3、手を動かして現場を作っていく(職人さん)(1→2、2→3、3→4、・・・・・・)
今の会社は1を求めていた。
しかし、僕は今まで、2をやってきて経験があると思う。
2は施主さんとも顔をあわせるし、職人さんともコミュニケーションする。
僕はそんな関係、役割が好きで、贅沢な役割、ポジションだなとつくづく思っている。
どんな役割にも「程度」があって、それはどちらが大変とかえらいとかの話ではなく、
程度によって、求められるスキル、経験、学ぶこと、学ばないといけないことが違うという話。
程度論。をはじめて考えた。
イソップ寓話の「3人のレンガ職人」の話があるが、それはこんな内容。
==========================
ある旅人が、レンガを積んでいる3人のレンガ職人に出会い、「何をしているんですか?」と聞く。
その回答が皆違う。
1人目は「れんがをつんでいる。」と答えた。
2人目は「壁を造っている。」と答えた。
3人目は「大聖堂を作っている。神をたたえるためにね。」と答えた。
==========================
色々な捉え方があるが、僕は今回の会社の面接のときに、
3人目と2人目のような内容を話したかなと振り返る。
じゃあどうやって?の部分が抜けていたのかな。
ん?この例え話違うか?
あのときに戻ったとしたら、
今の状況(人の状況(心身も)、コスト)、予算、事業計画を総合的にみて、
どうするか?そのような状況は経験あるか?ないならない。と。
あるなら、こうこうこうしてました。と。
それだけの話だった気がする。
程度論。
できることとできないこと。経験あることと経験ないこと。
求められていることと、求められていないこと。
さあ転職活動をはじめよう。