渋谷
今日は渋谷で三件。
遠い、、
転職活動。
遠い。。
息子のおやみの前に読んだ、創作物語。『お化け屋敷デビュー』
息子が寝る10分前の習慣。
まず既成の絵本を読む。そのあと、創作の物語を聞かせ。なぜだか、絵本のあと、創作の物語の読み聞かせが習慣化している。今、息子は3歳、かれこれ1歳半くらいの頃から続いる。
絵本が好き。図書館が好き。
『お化け屋敷デビュー』
作:ぼく
こんばんは。もう夢の中かな。
ぼくの名前はグミ。
よろしくね。
今日はグミのお誕生日です。
グミは今日で3歳になりました。
お化けの世界では3歳になると「お化け屋敷デビュー」をします。
お化けのグミはお化け屋敷デビューに向けて、お父さんお化けとお母さんお化けと練習をしています。
本を読んだり、
走ったり、
絵を描いたり、
ダンスをしたり、
そして、たくさんごはんを食べたり。
遊んだり。
いろいろなことが必要ですよね。
グミはどんどん大きくなります。
お化け屋敷でデビューの前日。
グミはとてもドキドキしてます。
でも大丈夫。だってたくさん練習もして、たくさんごはんも食べましたからね。
今日はもうお風呂に入って寝ましょうね。
とっても気持ちいいです。
グミはもうねんねんの時間です。
朝です。
「あーおはよう」
今日はいよいろお化け屋敷デビューの日です。
もうお化け屋敷にはたくさんのお化けたちが集まっていました。
みんなどうやって人間のこどもを驚かすか考えています。
しかし、グミはどうやって人間のこどもと仲良くなるかを考えています。
さて、どうやったら仲良くなれるのかな?
握手?お話?それとも一緒にお風呂?
一緒にゼリーを食べるのもいいよね?アイスも。
よし!アイスを一緒に食べよう。
パイナップルのアイスを食べることにしました。
パイナップルは手で持つと痛いから、お店やさんに切ってもらうのがいいんですよね。
いろいろお話をしました。
お友達のこと、おもちゃのこと、家族のこと、
お別れの時間です。
お別れは寂しいです。
「バイバイ」
「ばいばい」
トウはお父さんとお母さんに今日の出来事をたくさん話しました。
いっぱいお話してくれて、お父さんもお母さんも驚いていました。
そして、嬉しそうです。
その夜のことです。
トウの夢の中には「手紙」が出てきました。
『トウへ
今日はおばけ屋敷でお話できてうれしかった。
ぼくはお父さんとお母さんに自分の好きなように
人間の子どもをおどろかしみな。と言われたんだ。
でも、ぼくは人間の子どもと仲良くなりたかったから、
考えたんだ。
それで、思いついたんだ。仲良くなって、夢の中にお手紙を出そうって。
「驚いて」くれると嬉しいな。
トウも思ったことや困ったこと、好きなこと、嫌なことをノートに手紙を書いてみて。
それをぼくが読んで、また夢の中でお返事を書くね。』
「ありがとう」
ずっと、心の片隅。頭の片隅。んーなんと言ったらいいのか、まるで歌詞みたいで嫌だけど、ほんとそんな感覚。
自分の実力、経験について考えている。
なんか、ここ数年ずっと考えていた。
新卒で入った会社や新卒から1-2年はずっと、
やりがいとか、会社での出世とか、成長とか・・
考えていなかった。
日給計算して、今日働いたら、いくただから、〇〇が買えるとか。(服が多かったかな)
あと何いち行ったら休みだとか。
そんなことばかり考えていた。
でも、休日の専門学校に働きながら通ってから、
自分で何かしたい、将来に残ることをしたと思うようになった。
そこがまず僕のターニングポイント1つ目。
それから、じゃあ何がしたいか?何をするべきか?を考えた。
それは子どもに関すること。
大学の卒論も新卒も子ども関連だった。
子どもは子どもでも病気や障害の子を育っている家族に関わりたい。
少しでもなにかしたい。
綺麗事なしで思っている。
今も。
それから、IT業界に飛び込み、プライベートでも
WEBメディアも立ち上げ運営しているわけだが、
ずっと、心の片隅。頭の片隅。。。。
んーなんと言ったらいいのか、心の片隅とか頭の片隅ってまるで歌詞みたいで嫌だけど、
ほんとそんな感覚。
晴れない。
自分は目立ちたいのかな。
その瞬間、今の大切さ、家族の大切さを忘れてしまっている気がする。
大切で、「大切ではない」という気持ちは全くない。でもなんか、忘れてしまっている気もする。
妻といることが好き。飲んでいることが好き。
息子と遊んでいるとき、寝顔を見ているとき、ほんとすき。
実家に帰って、みんなで雑談していることが好き。
家族が好き。
僕にとっては普遍なこと。
世の中には「絶対」はないというけど、それだけは絶対な気がする。
で、仕事の話に戻すと、今何したいのか、何ができるのか、
見えない。見えてない。見ようとしない。ない。
じゃあどうするのか?
一番重要な場所がわからない。
おわり
程度論。できることと、できないこと。経験あることと、経験ないこと。求められていることと、求められていないこと。
昨夜、上司と1on1をした。
僕も薄す感じていた。
この会社の事業計画と今僕がみているチームの状況、僕のこれまでの経験、今後やりたいこと、家族のことなど総合的にみたときに、ミスマッチが起きていること。
この要因は、同時多発的に起こっていること、例えば、
メンバーの体調不良、家の状況、事業の急激な成長(直角的な)
そして、一番は、採用面接のときのミスマッチ、いや、認識ミス。
これは程度論とも言える。
「今までここの会社でこういったことをしていました。」
この内容で面接者(会社側)と転職者(僕)のみている映像の違い。
だから、入ってから、お互い「あれ?」なんか違う。
これがこうこうおかしいではなく、「なんか」なのだ。
だから、これがこうこうおかしい、「だから」こうこうした方がいい。「そのためには」こうしてみましょう。
のような目的があって方法ではなく、方法論で語ってしまう。
ピンポイトで考えていなく、総合的に俯瞰してみて、今こうだから、こうしないとだめという話にならないと進まない。
そして、1つ。
新築工事(更地に家を建てる)に立てて話す。
新築の家を建てたる場合。大雑把にいうと、こうなると思う。
1、設計図を書く(建築家、設計士)(0→1)
2、現場を考える、予算やコスト(人、物、精神)調整しながら現場を動かす(現場監督)(1→n→n")
3、手を動かして現場を作っていく(職人さん)(1→2、2→3、3→4、・・・・・・)
今の会社は1を求めていた。
しかし、僕は今まで、2をやってきて経験があると思う。
2は施主さんとも顔をあわせるし、職人さんともコミュニケーションする。
僕はそんな関係、役割が好きで、贅沢な役割、ポジションだなとつくづく思っている。
どんな役割にも「程度」があって、それはどちらが大変とかえらいとかの話ではなく、
程度によって、求められるスキル、経験、学ぶこと、学ばないといけないことが違うという話。
程度論。をはじめて考えた。
イソップ寓話の「3人のレンガ職人」の話があるが、それはこんな内容。
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ある旅人が、レンガを積んでいる3人のレンガ職人に出会い、「何をしているんですか?」と聞く。
その回答が皆違う。
1人目は「れんがをつんでいる。」と答えた。
2人目は「壁を造っている。」と答えた。
3人目は「大聖堂を作っている。神をたたえるためにね。」と答えた。
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色々な捉え方があるが、僕は今回の会社の面接のときに、
3人目と2人目のような内容を話したかなと振り返る。
じゃあどうやって?の部分が抜けていたのかな。
ん?この例え話違うか?
あのときに戻ったとしたら、
今の状況(人の状況(心身も)、コスト)、予算、事業計画を総合的にみて、
どうするか?そのような状況は経験あるか?ないならない。と。
あるなら、こうこうこうしてました。と。
それだけの話だった気がする。
程度論。
できることとできないこと。経験あることと経験ないこと。
求められていることと、求められていないこと。
さあ転職活動をはじめよう。
仕事ってなんだろう。
仕事ってなんだろう。
わからない。
今日は年末年始休み最終日、なにを思い、なにをするのか。
朝、7:30ころに息子に起こされる。
隣でねんねしてもいい?と。
すごくかわいい。
そして、しばらくは一緒に寝たと思う。
息子は気がついたら、妻の方に行っていた。
そして、妻に「とうじが早く起きると、パパとママ寝れなくて、早く起きてもいいから、ひとりで迷路やっていてくれる?」と優しく言う声で目が覚めた。
息子は暖房が効いた部屋でお絵かきをしている。
「クーピーどこー?」との声に再び起こされ、、もう、あきらめ、僕も暖房の部屋へ。
クーピーをおもちゃ箱から出し、顔を洗い、コーヒーを淹れ、ゆっくり。
2割、お絵かきに参戦。
↑数年後みたとき、「このクーピーなつかしー」って思うんだろうな。
テレビをつけると、仮面ライダージオウ、ゲゲゲの鬼太郎が始まる時間。息子に聞くとゲゲゲの鬼太郎観たいと。
ポートランド。調べてよう。
そして、今年いく。